河合隼雄『父親の力 母親の力』

 

父親の力 母親の力―「イエ」を出て「家」に帰る (講談社+α新書)

河合氏は指摘する。日本型家族的経営の企業にどっぷり浸かり、上司や同僚と疑似家族を楽しんでいたサラリーマンは、よりドライな風潮に社会が変わるにつれて、家に帰り、家の中で家族関係を結ぶ必要が出て来た、と。一方、「かつては父権が存在した」というノスタルジーに対しては、それはただの美化された過去だと喝破する。かつても存在せず、今も存在しないが、未来には結ぶ必要のある“新約”の家族関係。

ポゴレリチ「ブラームス 3つの間奏曲 作品117・ラプソディ 作品79 他」

ブラームスの間奏曲は夜にひたるのにうってつけの歌だ。グールドが弾けば上質な夜になるし、アファナシエフが弾けば幻想的な夜になるし、ポゴレリチが弾けば甘美な夜になる。

ブラームス 3つの間奏曲 作品117・ラプソディ 作品79 他

キャスリン・ビグロー「ゼロ・ダーク・サーティ」

2012年、米国、ジェシカ・チャステイン主演(ツリー・オブ・ライフのオブライエン夫人)。映画はパキスタンでのビンラディンの追跡と殺害の軍事作戦を描く。

2001年の9月11日、私は高校生で、家のテレビで燃える貿易センタービルを見ていた。その後、ビンラディンの名を忘れたことはなかった。常に友人との会話の中に冗談のかたちをとって出てきたからだ。それから10年弱。2011年5月2日に、ビンラディンが見つかり、殺された。そのニュースは覚えている。しかし、それが2011年の5月だったことは忘れていた。そうか、地震のすぐあとだったのか。あれ、ビンラディンが殺されたのって、そんなに最近だったの、という違和感。そして、いつしかビンラディンという名を、タリバンの名を、私は忘れていたという衝撃。

ゼロ・ダーク・サーティ (字幕版)

「24 -TWENTY FOUR- シーズン1」全24話

ジャック・バウワーという「捜査官」は、家族思いな男だ。捜査官は、犯罪者に妻と娘を誘拐される。その暴力と戦うためには、どんな自分勝手も辞さない。上司が死のうが、娘の友達が死のうが、部下を撃とうが、まったく動揺しない。が、家族の声を聞かないでいると狂ってしまう(ちょっと前まで不倫していたくせに)。

この捜査官が戦う相手である「犯罪者」は、これまた家族思いな男たちだ。いろいろと犯罪の背景が描かれるが、つまるところ、父親や兄弟という男の血のつながりをとっても大切にする奴らだ。

上記の男たちはどんな手を使っても、自分たちの正義(という名の家族)のために戦うことをよしとする。それに対して、犯罪者が命を狙う「大統領」は、家族思いではあるが、自分勝手ではない男だ。大統領は、時に自分や家族の利益を削ってでも、公共のために行動を起こせる男だ。CMを入れると24時間にわたってこの3者が三つ巴のように価値観を対立させるが、時をすごせばすごすほど、大統領の公平さに惚れてしまう(彼のハイライトは不倫しないところだ)。

最終話になって明かされる「スパイ」は、とくべつ、何のために戦っていたか分からない。道具のような人物であった。

24 -TWENTY FOUR- シーズン1 (SEASONSコンパクト・ボックス) [DVD]

岩井 克人『会社はこれからどうなるのか』

会社とは、コンクリートと紙切れからできたモノのような存在でありながら、ひとつの人格をもったヒトのようでもある。私たちはモノとしての会社を売り買いし、ヒトとしての会社に帰属し、汗水垂らして尽くす。この不思議な存在をクリアに説明してくれる。「わかる!」の連続に、脳みそが喜んでいるのが感じられる。

会社はこれからどうなるのか (平凡社ライブラリー い 32-1)